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| 大井戸 銘 喜左右衛門 | |||||||||||
| 井戸茶碗 | |||||||||||
| 井戸風の茶碗を轆轤から引き上げたことのある陶工でなければ言えないと思いますが、大井戸ほど陶工を寄せ付けず、苦しめるものはありません。ある先人は自分の井戸茶碗を富士山の前に掲げてみるといいと言われていました。美しい富士山と比較して見劣りするようでは本当の大井戸茶碗ではないようです。だから私は自分の作品を「井戸風」といっています。 ある茶人は大井戸茶碗を覗いて、「世界が見えた。」と叫んだそうです。 これに挑戦しようというのですから茶碗作りは命懸けです。ひょっとすると陶工としての私の人生は無駄な抵抗なのかも知れません。でも寸分を見つけては轆轤に座り「井戸風茶碗」を引きます。これは陶工としての私の執念です。 |
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| 豊臣秀吉の茶頭、千利休が朝鮮半島から大阪に輸入されたばかりの焼物の中に茶碗を見つけて大変な感動を覚えたと言われています。その茶碗はサバル(沙鉢)といって朝鮮半島では食事用のものらしく大ぶりなものでした。日本では後にこれを大井戸茶碗といってなかには国宝や重要文化財になったものも数々あります。
焼物を手にした利休はさっそく秀吉に献上します。それ以来大井戸茶碗は茶道の世界では第一級の名品となっていきます。 京都大徳寺、狐逢庵にある国宝「大井戸 喜左衛門」は我が国にある茶碗の中でも最高傑作だといわれています。 秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は秀吉の茶碗に対する思い入れという背景のなかで計画されたものでした。この朝鮮出兵が「茶碗戦争」といわれてきた所以です。 |
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| 和議 | 秀吉軍の武将小西行長と加藤清正の二人は今の平壌(ピョンヤン)の郊外で和議の席に着いた。朝鮮軍の主席、沈惟敬は重い口を開く。 「秀吉公は我が国の焼き物が大変お好みであると聞く、これにおるのは我が国の最高技術を持つ陶工の一人である。名を李勺光と呼ぶ。この者をこの和議の印に秀吉公に献上する。」 原田隆峰執筆中作品より |
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| 秀吉はこうして李勺光を手に入れるのですが、毛利藩に李勺光が預けられた経緯は定かでありません。その後に李勺光は李敬とともに萩焼の源流を造ることになります。 | |||||||||||
| 茶道の世界では「一井戸、二楽、三唐津」といわれてきました。井戸風の茶碗は萩焼の陶工が歴代の最高のものを作り出してきたので一井戸と一萩が同じ意味となってしまったようです。それで「一萩、二楽、三唐津」と呼ばれるようになってきました。 | |||||||||||