【草鞋に語る2】

一時間が五時間にも思えた。
 いよいよ列車の入る予報のベルが鳴りだした。駅の灯もまばらで管制下にあってうす暗く、下車する人も数人ばかり。
 貴方は居た。よごれた菜葉服にゲートルをつけ、救急袋を肩からかけトランクを下げて…。貴方もやっぱり「誰か来てるかな!」と不安な面持、キョロキョロ人影を探しているようだった。「ここよ!」と手を振ると元気に走り寄って来た。お母さんは、見せてはならない涙がハラハラと落ちた。
 暗い駅でおにぎりを食べた。「ウマイナ、ウマイナ」と言って四ッ五ッぱくついた。私は可愛想に「やっぱりまだ子供だな!」と思ったりして見ていた。
 聞けば昼食をたべただけだと言う。午後の勤務を完全にはたして駅に走ったと言う。
 腹ごしらえも出来て、これから八里(今の三十キロ余)の道を歩かなければならない。お母さんは草履にはきかえたけれど、貴方はしばらくこのまま(軍靴の様に重い靴)で歩くと言う。
 正明市の町を出ると続く浜辺の道、それを過ぎると追剥でも出そうな山道を、それでも二人は楽しそうに我が家の話をし、食べ物の話、友達の話など声高く、時々は大声で笑いもした。その時お母さんは、貴方が予科練を希望している事を知った。自分の棺桶は日本一高価な棺桶だとも言った。「この子は爆死する覚悟だ!」と感じたが、戦時下の重大な時、止める言葉もなく、ただ聞いていた。お母さんの胸中は、どうして貴方の希望をお祖父様に了解して頂こうか、と胸が痛んだ。
 道は田舎町を通ったが電灯は一つもなく、時計を見ることも出来ない。時々、サッと氷雨が過ぎ去り、雲はたれ下がり、真の暗闇とはこんな晩でしょうか。鉄道線路の側を通る時、暗いやみの中に鉄路が時々白く光って見えた。遠い高い山の管制燈がピカッピカッと稲妻のように、また星のように見えて山の高さを見せて。道程を半ばも歩いた頃からは言葉もとぎれ、足も重くなった。お母さんは、腰紐をといて貴方のトランクを背負った。トランクの中はリュックサックが一個、寮で待っている友達へのお土産の食糧をつめるため??。軽いはずのトランクが疲れて肩にくい込んだ。お母さんが二足目の草履を履き替えた時、貴方は草鞋をはいた。道には水溜が出来ていたので、時々は水溜まりにも足をつっ込んだ。大きい水溜まりは闇にも光って見えたが、小さいのはわからない。
 やっと我が村の村境迄たどり着いた時はホッとして、自分の家に帰った様な安堵さがあった。これから残り一里半…。お母さんは歩き下手なのか二足目の草履も切れて、足袋はだしで歩いた。弱音をはいてはいけない、と思っても足が冷たいのか痛いのか、もう感覚もなくて、ただ機械のように歩きつづけた。
 人が居たら草履一足を御無心しようと思っても、夜半のことで人も居ない。
 残りはもう一里もない、と元気を出して、また話をはずませた。