ご挨拶

 このサイトは山口高校78期1972年(昭和47年)卒業生のための交流の場です。我々の同期会の名前を七十八をもじって「菜の花の会」としています。母校への思い、同期生の近況、いつまでも消えることのない熱球魂、たった3年間でしたが心の片隅にいつまでも置いておきたい、よりどころです。

第16回菜の花の会ゴルフコンペ

平成17年8月13日に行った。親睦ゴルフ大会の結果をアップしました。上のメニュータブの山高同窓会を選んでください。今回は同窓会総会のゴルフ大会に相乗りした形です。(2005.08.24UP)

山口高校

 山口高校は山口中学(山中)がその前身です。山中は明治3年に開校しました。その歴史は古く、元をたどれば1815年に上田鵬陽が私塾「山口講堂」を始めたことになるとされています。幾度もの学制の改革などで学校の名前が変わったりしましたが、「至誠剛健」の校訓に自由な気風、進取の気風それに文武平等の気風は今も変わりません。

 日本の政治や経済を動かした大先輩も枚挙にいとまがありません。このページの背景にある記念館と呼ばれる昔の講堂には大先輩である岸信介、佐藤栄作の兄弟宰相の書が掲げられていました。

熱球

 「熱球」は山高の応援歌の一つです。何の応援にも熱球が歌われます。同窓生の誰もが歌える歌と言えばこの歌です。長い間オリジナルの歌だと思われていたのですが、実は鹿児島県の第七高等学校造士館の寮生が野球の応援のために作った歌が伝わったことが分かりました。しかし、同窓生にとっての心の歌「熱球」は今も変わりません。

1972年

 卒業した年です。71年から72年は札幌オリンピックで日本のジャンプ陣が金銀銅メダルを取った明るいニュースと、連合赤軍の浅間山荘事件や成田闘争の代執行など複雑な時代でした。沖縄が返還されたのも72年になります。旧日本軍の生き残り兵横井庄一さんの「はずかしながら」というのもありました。全日空機と自衛隊機が空中衝突というひどい事故もありました。歌では吉田拓郎や赤い鳥、泉谷しげるなどが活躍していました。ジョン・レノンのイマジンもこの頃です。

449名

 この年に卒業した全日制の普通科、理数科、商業科の卒業生の合計です。普通科は326名、この年に初めて卒業生を送り出した理数科は39名です。そして商業科は84名でした。

苦情とご意見

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